私は世間一般で言われる「潔癖症」です。外出先では公共のトイレを使用できず、他人が握ったおにぎりは食べられず、電車の吊り革やドアノブに触れる際には必ず除菌シートを使用します。周囲の友人からは「いつも清潔で綺麗好きだね」と言われますが、その言葉を聞くたびに、私は胸の奥が締め付けられるような激しい罪悪感と羞恥心に襲われます。なぜなら、私の自宅の玄関ドアを一歩開けた先には、足の踏み場もないほどゴミが積み上がり、カビと埃が支配する「ゴミ屋敷」が広がっているからです。この衝撃的な二面性に、私自身も長年苦しんできました。外の世界での私は、他人の菌や環境の汚れから自分を守るために、常に神経を尖らせています。しかし、その過度な緊張状態は脳を激しく疲弊させます。一日中、目に見えない敵と戦い続けて帰宅したとき、私にはもう一ミリの気力も残っていません。自宅は私にとって、唯一外の敵から逃げ込める避難所であるはずでしたが、皮肉なことに、その避難所を維持するための「掃除」という行為が、私にとっては最大の恐怖となってしまったのです。潔癖症であるからこそ、私は「汚いモノ」に対して人一倍敏感です。一度床に落ちたティッシュ、食べ終えた後の弁当容器、それらは時間の経過とともに「汚染物質」へと変貌します。本来ならすぐに捨てればいいのですが、潔癖症の私は、それらのゴミを直接触ることに強烈な抵抗を感じます。ゴミ袋に入れるために手を伸ばすことさえ、汚染された世界に足を踏み入れるような感覚になり、体が拒絶反応を示すのです。「触れたら自分の手が二度と洗っても落ちないほど汚れてしまうのではないか」という非論理的な恐怖が、私の理性を支配します。そうして放置されたゴミが山となり、部屋全体が汚染されていく様子を見ながら、私は「もう自分の力ではどうしようもない」と諦めてしまいました。部屋が汚れれば汚れるほど、私はますます掃除という行為が怖くなり、さらにゴミを溜め込むという悪循環に陥りました。外出先での完璧な清潔さは、実は自宅の崩壊した自分を隠すための必死の仮面だったのかもしれません。潔癖症の人が汚部屋に住むという矛盾は、周囲には理解されがたいものですが、本人の内面では「清潔を愛するがゆえに汚れに触れられない」という、悲劇的な相克が起きているのです。この暗闇から抜け出すためには、専門の清掃業者の力を借りて、一度強制的に環境をリセットするしか道はありませんでした。自分の弱さを認め、他人に部屋を見せる恥を乗り越えることは、何百回手を洗うことよりも勇気が要る決断でしたが、それこそが私の人生を救う唯一の手段だったのです。
外では完璧な清潔を装う私の部屋がゴミ屋敷な理由