私はずっと、自分を潔癖症だと言い続けてきました。友人と食事に行けば箸を割り直し、外の椅子にはハンカチを敷かなければ座れない。そんな私の潔白なイメージを、周囲は疑うことなく信じていました。しかし、その言葉は、私の部屋の凄惨な状況から目を逸らすための、自分自身への言い訳に過ぎませんでした。私の部屋は、ここ数年、誰一人として招き入れたことのないゴミ屋敷です。床はコンビニの袋やペットボトルで覆われ、空気が淀み、かつて自分が愛したはずの家具たちは埃に埋もれています。私は潔癖症だからこそ、部屋が汚れるのが許せませんでした。でも、一度汚れが私のコントロールを超えたとき、私は掃除をすることを放棄しました。なぜなら、掃除とは汚いモノに触れることであり、潔癖な私にとって、それは自分のプライドをズタズタにする行為だったからです。私は「汚いモノを触らなければ、私はまだ潔癖でいられる」と、自分に嘘をつき続けました。部屋がゴミで埋まっていくのを、あたかも他人の家であるかのように眺め、外では誰よりも清潔な人間として振る舞う。その二重生活は、私を精神的にボロボロにしました。外で清潔を演じれば演じるほど、自宅の不潔さが私を責め立てました。「お前は偽物だ」という心の声が止まりませんでした。私がようやくこの嘘を捨てることができたのは、ある清掃業者のウェブサイトに書かれた一言でした。「潔癖症の方は、汚れを愛しているからこそ、それを触るのが怖いのです」。その言葉に、私は救われました。私はだらしないのではなく、単に怖かっただけなのだと。私は勇気を出して、業者に連絡をしました。初めて他人に自分の汚部屋を見せたとき、死ぬほどの羞恥心に襲われましたが、同時に長年抱えていた重荷が消えていくのを感じました。業者が運び出すゴミの山を見ながら、私は何度も泣きました。潔癖症という言葉を、自分を追い詰める盾にするのはもうやめにしました。今は、汚れたら掃除をする、汚いモノには手袋をして向き合うという、当たり前で等身大な生活を送っています。部屋を綺麗にすることは、自分への嘘を一つずつ剥がしていく作業でした。今の私は、以前ほど完璧な潔癖症ではありません。でも、自分の部屋で安心して眠れる今の自分の方が、ずっと清潔で、健やかだと思えます。
部屋の惨状を潔癖症という言葉で隠してきた私の告白