私は潔癖症です。それも、他人が触れたドアノブは素手で触れず、帰宅すれば真っ先にシャワーを浴びて外の汚れを落とし切らなければ気が済まないほど、重度のものです。しかし、そんな私の私生活は、恥ずべきことにゴミに埋め尽くされた汚部屋でした。外の汚れをこれほどまでに嫌う私が、なぜ自分の住処がこれほど不衛生になることを許してしまったのか。その答えは、あまりにも皮肉なものでした。それは「汚れを直視し、それに触れることが死ぬほど怖かったから」です。ゴミ袋に溜まった不用品、いつの間にか発生した埃の塊。それらは、ある一線を超えた瞬間に、私の中で「自分では処理不可能な危険物」へと昇格してしまったのです。一度そう思い込んでしまうと、ゴミを拾うという当たり前の動作が、素手で劇物を触るかのような恐怖を伴うようになります。私は部屋が汚れていくのを、ただ震えながら見守るしかありませんでした。しかし、ある日、このままでは自分の人生が完全に壊れてしまうという強い危機感を抱き、私は汚部屋脱出のための作戦を開始しました。私が最初に行ったのは、徹底的な「自己防衛」です。掃除道具として、最高級の防護マスクと、肘まで隠れる厚手のゴム手袋を何セットも購入しました。そして、さらにその上から使い捨てのビニール手袋を重ねるという徹底ぶりです。服装も、捨てても惜しくない古い服をさらにビニール製の雨合羽で覆い、全身を完全にガードしました。「私の皮膚は、この世界の汚れに一ミリも触れることはない」という確信を得て、ようやく私はゴミの山に手を伸ばすことができました。次に、掃除の範囲を「10分間だけ、この1平方メートルだけ」と厳格に制限しました。完璧主義の私は一度始めると全部やりたくなりますが、そうするとエネルギーが枯渇して挫折することが分かっていたからです。また、ゴミの分別を細かく考えすぎると、汚いモノを長時間観察することになり、精神的に限界が来るため、迷ったら「すべて可燃ゴミの大きな袋に入れる」という荒療治も自分に許しました。少しでも部屋が広くなり、本来のフローリングが見えたとき、私は久しぶりに自分の部屋で深く呼吸をすることができました。潔癖症による汚部屋は、自分の「清潔でありたい」という願いを、自分の「汚れへの恐怖」が押しつぶしてしまう現象です。この脱出劇を通じて学んだのは、掃除は「綺麗にするための作業」ではなく、私にとっては「恐怖に打ち勝ち、自分のテリトリーを取り戻すための戦い」だったということです。今も油断すれば散らかり始めますが、その時はすぐに「戦闘服」に着替え、自分を守りながら環境を整える術を身につけました。